前後関係
不運か幸運かを決定づけるのは 全て 物事が起きた順番やタイミングによるのではないか
同時に起きてはいけないことが同時に起きると
そこから 誤解が生じて 取り返しがつかないことも 発生するのではないか
前後の出来事を人間は相関付けたがる傾向があるのではないか
例えば
夫が浮気していると妻は耳にしたが、確証が現時点ではない時に
たまたま夫のオフィスに行ったら、そこにはマグが2つ置いてあり、片方に口紅がついていたとしたら?
それを見た妻は、秘書と浮気しているのではないかとまず結論づけるだろうね
もし たまたま ミーティングをしていて マグに口紅がついてしまった たったそれだけのことだとしても
冤罪もこういうことなんだろうな
たまたま、濡れ衣をきせてやろうと 企んでいた人がいた所に たまたま居合わせてしまい 無実の罪をきせられ、誤解され、この人は自分のことを信じてくれると思った人にも悉く見放され、それを聞きつけたマスコミはあらゆる方面から 煽るような見出しとともに
根拠は薄いが 刺激の強い記事を 公表する、、、、
私が大学一年生の頃、Twitterをしていたが、そこで、「女子が少なくて寂しい」と、いわゆる、よくある本音を呟いた
そして、Twitterを見ている時間が勿体無いと思い、アカウントを消すことにした そこに 特に深い意味はなかった
数日後、一緒に授業を受けていた他学科の友達から
「悪口が書き込まれてるけど大丈夫?」
「アカウントも消してたし大丈夫?」
と言われて、私は心底驚いた
詳しく話を聞いてみると、他学科の、しかも、私がフォローしていたわけでも、その人が私のことをフォローしていたわけでもないアカウントの持ち主である、一度も面識のない男子が、
「垢消しとかマジウケるwwwwwwww」
等と言っている様子であった
正直なところ、誰?という感想であったし、わざわざ面識もなく、フォローフォロワーでも無いのにご苦労様なことに私のツイートをチェックして何やかんや言っていて仕舞いには 私が気まぐれでアカウントを消した理由を、「女子が少なくて寂しい」というツイートに関連づけて面白がっている(?)そうなのである
一体どういうことなのか
気になって仕方がなくなり、アカウントを復活させ、その問題のアカウントやらそのまわりを探ってみたところ、思いもよらない結果もついてきた
なんと、また別の女子が裏アカウントらしきところで、「女子が少なくて寂しい」ツイートについてなんやらかんやら言っているのである、、、
「女子が少なくて寂しい」がそこまで気に障ってしまったのなら本当に申し訳がない
だが、もしかすると 「女子が少なくて寂しい」と言った後に、アカウントを削除したことによって、そのツイートに深く意味を持たせすぎることになってしまったのではないか、
つまり タイミングが悪かったのである
本人以外の人間からすると、前後関係のみで勝手に「意味のないこと」に「意味を持たせようとする」傾向が人間にはあるのではないか
よく芸術家の作品に対して、鑑賞者が、あーでもない こーでもないと考察をつけたがる
しかし 案外その作品を生み出した本人は、
「特に深い意味はない」と言っていたりする
つい先日の例だと「100日後に死ぬワニ」がついに最終回を迎え、ネット上にはたくさんの考察が出回った
中には作者の人生についての記事と絡めて、ご自身の経験が元になっているのだろうとか、
電通と絡めて批判するものも出てきている
一体何が正しいのかなんて、本人以外だれにもわからないし、作者自身も「本当の本当に言いたかったこと」をそのまんま漫画で表現しきれているのかもわからない
もしかしたらこんなに「曲がった解釈」をされるとは、、、と、途方に暮れているかもしれない
何が正しいのかわからないし恐らく本人もわからなくなるような状態である
段々この記事を書いている私も混乱してきたが、要するに
「太陽は東から昇って西へ沈む」というような
周期的に発生したり、紛れも無い事実以外のことは、
その物事が起きたタイミングや、その物事の前後に発生した事案のみで答えを出そうとするのは、とても 実は偏っている見方、視点なのではないか、、、と
近頃思いながら過ごしている